病理医の現状と歩みとその哲学

河北総合病院病理診断科部長
東京大学名誉教授
町並 陸生

現在、筆者はJR中央線阿佐ヶ谷駅近くの河北総合病院で常勤の病理医として勤務し、13年4ヶ月が経過しました。常勤病理医は筆者1名のみで、非常勤の病理医4名と常勤の臨床検査技師5名で、年間約3600件の生検手術例および20~30例の剖検例の病理診断業務ならびに約17000件の細胞診に対処しております。河北総合病院は社会医療法人河北医療財団(河北博文理事長)が運営する391床の急性期型の病院で、その他にいくつかの附属施設があります。我が国の病理医の悲願であった病理診断を専門的に病理医が行なう診療標榜科が平成20年4月1日より厚生労働省令により病理診断科という名前で実現しました。これに先立ち平成15年に日本病理学会認定病理医は病理専門医という名で広告可能となりましたが、病理専門医の勤務する場所が病理診断科であることが明確になりましだ。河北総合病院(渡邉千之院長・昭46卒)でも平成23年10月1日付で病理診断科の正式の独立が達成され、筆者には病理診断科部長、5名の臨床検査技師には病理診断科所属の辞令が出ました。病理医と臨床検査技師が一体となって病理診断業務に専念することができるようになり、幸せな気持ちで病理学三昧の毎日を送っております。

私は暗い高校時代を過ごしました。その理由は将来どのような仕事をしたら良いか全く見当がつかなかったためです。浪人2年目に西田幾多郎博士の「善の研究」という本に出会い「我々は何を為すべきか、何処に安心すべきかの問題を論ずる前に、先ず天地人生の真相とは如何なるものであるか、真の実在とは如何なるものなるかを明らかにせねばならぬ」「意識現象が唯一の実在である」という文章に強く心を打たれました。そこで意識現象とは人間の脳の現象であるから、人間の脳とは如何なるものかを知りたいという気持ちで東大理科二類(当時は理三はなかった)を受験して合格し、全学のアメリカンフットボール部員として全試合に出場しながら、幸い浪人することなくZ組から医学部に合格することができました。このような進路をたどることになったのは尊敬する母方の伯父(細川隆英、九州大学名誉教授、植物学、細川忠興の長男忠隆の末裔)の生き方に心が強く惹かれていたためと思います。アメリカンフットボールの方は4年間全試合に出場し主将も務め、全学の運動部で激しいスポーツをやり遂げたことが、その後の人生の大きな支えとなりました。

集合写真説明
左より、Dahlin先生、太田先生、平福先生、町並
東京医学会第2064回集会 1993年8月9日
演題:Newer entities in the field of bone tumors

医学部入学当初は大脳生理学者になりたいと思っていましたが、電気生理学は自分には馴染まないことを知り、病気を含めた人間の形態学を広く勉強したいと考えるようになりました。そこで1年間のイン夕―ン後、病理学教室教授、恩師、太田邦夫先生(昭12卒)の門を叩きました。太田先生からはWHO骨腫瘍の仕事の手伝いと悪性腫瘍の浸潤と転移のテーマを頂きました。病理学教室助手の頃(32歳)、ロンドンのChester Beatty Research Institute (Royal Marsden Hospitalの研究所でロンドン大学癌研究所)にブリティッシュ・カウンシルの留学生として1年6ヶ月間滞在し、転移に関する免疫電顕的研究に従事しました。この間、イギリスの医学・医療のあり方を見て、まず患者がいて、次に医師という職業が生まれ、さらに病院ができて、最後に医学校ができるというのが自然の流れであり、イギリスには大学附属病院というものはなくて、病院の一部が大学の部門となっていることを知り大変感銘を受けました。その後、42歳から49歳まで7年間、群馬大学の病理学教授を務めてから東大医学部に戻り、11年間病理学第1講座教授として過ごしました。字数の制限のため、この間のことは良き思い出の一つをご紹介するに留めます。筆者が自分の専門とする骨腫瘍病理学で最も尊敬する米国のMayo Clinicの病理学名誉教授David C. Dahlin博士を東大にお招きし、山上会館でお話を伺ったときは筆者にとって誠に幸せなひとときでした(写真)

最後に筆者の哲学を3つ述べさせていただきます。1. 病理学は人間の体に生じる形態学的現象詳細に観察し、丁寧に記述することを日常業務として、病理診断に精進している病理医が勉強し研究する学問である。病理学がなければ遺伝子を取り出してみても、その意義は分からない。病理診断の価値は、統計学である画像診断とは逆で、言わば例外を見いだすところにある。2. 医学・医療のなりたちを考えると、医学校は病院附属であるべきである。大学附属病院は廃止し、大学は一般の優れた病院と契約を結び医学教育を行なうべきである。3. 社会的に偉いと思われている学長などにはならなくて済むのならなるべきではない。このような職種は商人のようなもので、医師・医学者を志した者の精神に反する面が多い。一兵卒の医師・医学者として初心を貫くことができれば何よりの幸せである。

鉄門だより 第690号 平成24年9月10日発行