Dr. Dorfmanを偲んで
2023年10月16日、Dr. Howard D. DorfmanがManhattanの自宅で95歳の生涯を閉じました。Dr. Dorfmanは、現代の最も偉大な骨病理医の先達であり、彼の執筆した「Bone Tumors」(第2版はDorfman and Czerniak’s Bone Tumors)は骨腫瘍病理の名著として知られています。
Dr. DorfmanはNew York市で生まれ、New York University卒業後State University of New Yorkで医学を学び、Mount Sinai Hospital, Columbia Presbyterian Medical Centerで病理を専攻しました。Connecticut州のSharon Hospitalで病理部長を務めた後、Sinai Hospital of Baltimoreを経て、Dr. Henry L. Jaffeの後任として1964年にHospital for Joint Diseasesに異動しました。この時期にDr. Jaffeと一緒に仕事をし、後にDr. JaffeのcollectionをDr. Dorfmanが受け継いでいます。その後New York市の治安が悪化してきたということで、再びSinai Hospital of Baltimoreに病理部主任として赴きました。1985年New York市のMontefiore Medical Center, Department of Orthopaedicsに迎えられ退職後も名誉教授として活躍されました。
Dr. Dorfmanは、自身の専門とする病理だけでなく放射線診断学や臨床の知識も豊富でMontefiore Medical Centerでは、Orthopaedic Surgery, Pathology, Radiologyのprofessorを兼ねていました。骨軟部腫瘍、骨関節疾患の診断ではJaffe’s triangleが有名ですが、単に放射線科医、病理医、整形外科医が集まれば良いということではなく、それぞれが他の分野の知識を持ち合わせた3分野のspecialistが必要ということを意味しています。Dr. DorfmanはこのJaffe’s triangleをひとりで体現していたといえるでしょう。Dr. Dorfmanは、骨疾患症例を診断する際必ず画像診断をし、鑑別診断を挙げてから検鏡していました。現代の病理医も、この手順を見習う必要があります。
Dr. Dorfmanは、今年50回目を迎えるInternational Skeletal Society(ISS)の創設者のひとりであり、会長を務めました。また、毎月市内のメンバーが持ち回りで開催し骨病変を検討するNew York Bone Clubの主要メンバーでもありました。ISSのmembers meetingでの症例検討やNew York Bone Clubは、日本でのBone Tumor Club誕生に大きな影響を与えたものと思われます。
日本との縁も深く、日本整形外科学会骨軟部腫瘍学術集会を含め5回の来日を数え数多くの講演を行い、多くの日本の骨病理医を育成されました。恒吉正澄、今村哲夫、野島孝之、高木正之、石田剛、長谷川匡、山口岳彦、菊地文史(敬称略)はDr. Dorfmanに教えを受けています。
Dr. Dorfmanはスポーツマンでもあり、毎週末愛娘Leslieの名を冠したヨットやテニスを楽しんでいました。映画や舞台芸術を好み、奥様とよく劇場に行かれていました。大変家族思いであり、特に奥様を大切にされていました。また愛猫家であり、最後に飼っていたのはPumpkinという茶トラの猫でした。
個人的に教えを受けただけでなく、日本の骨病理の発展にも尽力して頂くなど、今までのご活躍に感謝を捧げ、こころからご冥福をお祈りいたします。