Fletcher博士のご逝去を悼んで

日本骨軟部腫瘍研究会幹事 九州大学大学院医学研究院形態機能病理学教授 小田 義直

軟部腫瘍病理の大家で日本の病理医もほとんどがその名前を知っているであろうChristopher David Marsden Fletcher 博士が2024年7月28日、66才でお亡くなりになりました。ここに御生前の御功徳を偲び、謹んで哀悼の意を表します。亡くなられた翌日に私のもとにもメールで連絡が来ましたが、まさに巨星墜つという感じでした。日本の病理医の中には留学やコンサルテーションなどでお世話になった方が多くいると思います。

昨年、ご家族との時間を多く取るために一旦、長年勤務されたBostonのBrigham and Women's Hospital (BWH)をリタイアされ、今年に入ってから体調が悪いとのことで心配していましたがついに帰らぬ人となってしまいました。

私が大会長を拝命しておりました2020年福岡での病理学会総会で特別講演を行って頂く予定でしたが、新型コロナウイルスによるパンデミックのために学会がオンライン開催となり、講演もキャンセルとなってしまいました。また2026年の福岡でのIAP Congressでの講演をお願いしていましたが、今年の6月頃体調が悪く、2026年に訪日するのはとても無理そうだという連絡が御本人からありこちらもキャンセルとなり大変残念でした。せめてもの記念にと、パートナーの方と使ってもらえるように有田焼の天目釉金彩笹絵ペアカップを自宅に送ったところ、これを見ながら過去に訪れた日本を思い出している、と喜んでもらいました。このメールでのやりとりが7月10日で、最後となりその約3週間後に亡くなられました。

1990年代前半、東京にて

Fletcher博士の学術的な業績では1992年に”Pleomorphic malignant fibrous histiocytoma: fact or fiction?”というタイトルでAm J Surg Pathol誌に論文を発表し、それまでの軟部肉腫の中で最も頻度が高いとされてきたMFHの概念を覆す革新的な内容で、軟部腫瘍病理医として第一人者の地位を確立しました。その後も軟部腫瘍の新たな疾患概念を次々と確立し、その内容を病理学の一流誌に発表してゆきました。WHO骨軟部腫瘍分類では2002年第3版、2012年第4版、2020年第5版において編集責任者として活躍され、現在の分子遺伝学を取り込んだ骨軟部腫瘍分類を確立されました。私は2012年、2020年WHO分類のコンセンサス会議に出席させていただいてFletcher博士の獅子奮闘の活躍を間近に見ており、年間5000件のコンサルテーション症例の診断を行っていることと合わせて、この先生は不死身なのだと思っていただけに大変残念です。

2017年USCAP (San Antonio)にてFletcher博士、小田、松原修先生

USCAPでは”Soft Tissue Friends”という食事会を毎回企画していただき、出欠やレストランの手配もご自身でなされて、軟部腫瘍病理医の懇親会となっていました。私は何回かこの会に参加させていただいていましたが、2023年は旅程が合わずに参加できなかったことが悔やまれます。来年のUSCAPはBoston開催で地元ということで、この回のホストとして張り切っていたとも聞き及んでいます。

軟部腫瘍のみではなく外科病理全般にも造形が深く1995年に出版され、数々の賞を受賞した彼の代表的な教科書『Diagnostic Histopathology of Tumours』は、現在第5版まで出版され、腫瘍病理学の決定版となっています。この教科書の初版における分担執筆の依頼が恩師の遠城寺先生に来たことが思い出されます。これらの学術研究や米国内外での様々な講演による教育活動が認められUSCAP会長も務められました。

JDIAPとの関わりは2003年にJDIAP主催の"Surgical Pathology Update"(通称;湘南セミナー)において「軟部腫瘍の外科病理」で講師をしていただきました。日本側のカウンターパートは橋本 洋先生でした。Fletcher博士には講演を4個、症例提示をしてのスライドセミナーをやっていただき、大変好評でした。

2008年7月福岡で開催された九州・沖縄スライドカンファレンスで講演するFletcher博士
2011年7月の九州・沖縄スライドカンファレンス
岩本幸英先生(九大整形)、小田、Fletcher博士

日本整形外科学会の骨軟部腫瘍学術集会にも複数回招聘され軟部腫瘍の病理に関する特別講演を何度も行ってもらいました。宇都宮での学術集会ではホストの山口岳彦先生の企画でFletcher博士を交えて少人数で恒吉正澄先生と一緒に餃子屋で飲みに行ったのも良い思い出です。またこの骨軟部腫瘍学術集会に合わせて、2008年と2011年の2回、福岡に来ていただき、九州大学で開催された九州・沖縄スライドカンファレンスで講演を行ってもらうとともに、軟部腫瘍の症例検討会でコメンテーターを務めてもらいました。さらに九州大学へ送られて来た難解なコンサルテーション例を診ていただき、次々と明確な診断を示してもらい、目からウロコが落ちる思いでした。

博士は病理学の研究、教育、病理診断を通して世界の病理学の発展に寄与し、特に軟部腫瘍の研究において卓越した多数の業績を挙げ、現在世界で活躍中の多くの後進を育成されたことにより、病理学全体の研究進展に多大の貢献をされたと言っても過言ではありません。

博士の経歴などに関しての詳細はBWHのHPに追悼記事が出ています

ここに謹んでご遺徳を讃え、御冥福をお祈りいたします。

本記事は、JDIAPのNews Bulletin 「A NEWS BULLETIN 2024 Number 3」で公開された記事を一部修正・転載したものです。